戦争を分かったつもりになっている戦後生まれが一番厄介

しばしば触れる「ゲゲゲの鬼太郎」の話題。
今朝は「妖花」の話でした。
この原作は、先の大戦の戦死者と、その若い婚約者の話だったと思いますが、さすがに、平成も終わりの頃ですので、後期高齢者の老女になっていました。



怪しく咲く「妖花」の謎を解くために、「慰霊」と書かれたような慰霊碑がある「南の島」に足を運んだ一行は、そこで亡くなった多くの日本人の存在を知ります。
そもそも、日本から遥か遠くの南の島、そこに日本語の慰霊碑が置かれている自体、中学一年生の女の子には実感できません。
その、実感できない「戦争」に対し、鬼太郎らは、こう説明します。
    昔、日本は大きくなろうとした。
    そして、アメリカ、イギリス、フランス、今では仲良くしている国に戦いを挑んだんだ。
ただ挑んだだけでなく、「そういう時代だった」と添えます。
戦争話は、加害者的な視点を忘れて、一方的な被害者の立場で語るものと、加害者の立場で語りつつ日本が悪い、日本が悪い、と卑下するような話が大半ですが、もう、平成も終わりです。
「そういう時代」は、ある意味、客観的正論でしょうか。
もちろん、その戦争の背景は色々とありますが、今時の子供からしてみれば、それ以上の説明はむしろ理解を妨げるものになるんじゃないでしょうか。

昭和生まれのオッさんの中には、自分が戦後生まれであることをすっかり忘れて、聞きかじりの知識で戦争を分かったような顔をしてウヨクごっこをしたり、それを薄っぺらな感情で否定するサヨク遊びに没頭する連中がありますが、むしろ、こういう説明こそ、戦争を教える、というものじゃないでしょうか。

一方で、「玉砕」された人々が眠る場所、その亡骸を守ってくれた精霊らに対し、少女は言います。
    私が言うの変かもしれませんけど、でも、ありがとうございます!
ともすれば、戦死した人々に対して、それらは人殺しであり、大罪人であるかのような言い草で貶める連中が「識者」として大きな顔をしているご時世に、それを守ってくれた存在に礼を言うというのは、ちょっと勇気のいる脚本だと思いました。
もちろん、感心しました。

森の精霊に守られた多くの遺骨や、大叔母の恋人の亡骸。
これらを目の当たりにして、少女は、多くの人が戦って死んでいったことを、そして、戦争というものを実感します。

歴史という客観的な側面と、日本がかつて通ってきた歴史という側面を、バランスよく描いたこのゲゲゲの脚本は、戦争を伝える、という意味でよく出来た内容だと思います。
社会風刺でなく、妖怪という存在を使って、上手に考えさせる回が多いので、今後も、目が離せません。

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